
カンタクゼノス 共同皇帝ヨハネス6世となる
1347年、コンスタンティノープルに入ったカンタクゼノスは、娘をヨハネス5世と結婚させて、自らは共同皇帝ヨハネス6世(在位1347〜54)となった。内乱が終わり、ビザンツ帝国の立ち直りが期待された。
しかし、黒海北岸のジェノヴァ都市カッファを経てコンスタンティノープルにペストが広がり、ビザンツ帝国に大きな打撃となった。1352年から再び内乱となって、54年にヨハネス6世は退位させられた。
1340年代
世界各国史17 ギリシア史
しかし、黒海北岸のジェノヴァ都市カッファを経てコンスタンティノープルにペストが広がり、ビザンツ帝国に大きな打撃となった。1352年から再び内乱となって、54年にヨハネス6世は退位させられた。
1340年代
世界各国史17 ギリシア史
1349年、ヨハネス6世カンタクゼノスは、息子マヌエルに専制公の称号を与え、モレアの支配を委ねた。以後ペロポネソス半島南部のビザンツ領モレアは、親王領(専制公領)として皇族が統治することになった。マヌエルはヨハネス6世退位後も専制公を認められ、1380年まで支配した。その後パライオロゴス家の皇子が代々専制公となった。ブドウ酒・生糸などの産業が栄え、港町モネンバシアにはイタリア商人が集まり、城塞都市ミストラは文化面で、コンスタンティノープルにかわる中心地となった。