
ボヘミア王カレル1世即位
1346年クレシーの戦いでボヘミア王ヨハンが戦死したため、カールが王位を継いだ(ボヘミア王カレル1世 1346〜78)。
幼い頃フランス宮廷で育てられ、数カ国語を解したと伝えられる。1333年にモラヴィア辺境伯となり、不在がちの父ヨハンに代わり王国の統治にあたり、その発展に努めていた。
1346年には教皇の支持を得て、選挙侯たちによって対立皇帝に選ばれ、翌年ルートヴィヒ4世が死去して単独の皇帝カール4世となった。ボヘミアを皇帝の拠点として統治し、プラハは重要な宮廷都市として発展した。
1344年にはプラハ司教座を大司教座に昇格させ、ボヘミア教会の自立性を高めるとともに、ボヘミア王国の独立性を確かなものとした。画像は聖ヴィート大聖堂内陣
幼い頃フランス宮廷で育てられ、数カ国語を解したと伝えられる。1333年にモラヴィア辺境伯となり、不在がちの父ヨハンに代わり王国の統治にあたり、その発展に努めていた。
1346年には教皇の支持を得て、選挙侯たちによって対立皇帝に選ばれ、翌年ルートヴィヒ4世が死去して単独の皇帝カール4世となった。ボヘミアを皇帝の拠点として統治し、プラハは重要な宮廷都市として発展した。
1344年にはプラハ司教座を大司教座に昇格させ、ボヘミア教会の自立性を高めるとともに、ボヘミア王国の独立性を確かなものとした。画像は聖ヴィート大聖堂内陣

1348年にはプラハ新市街を創設し、ペーター・パーラーたちにより新しい建物がつくられた。聖ヴィート大聖堂内陣やカレル橋はパーラーの優れた業績。
同じ1348年カールはボヘミア、モラヴィア、シレジア、ラウジッツを「聖ヴァーツラフの王冠」のもとに統合した。「ボヘミア王冠の諸邦」という考え方は直接ボヘミアに従属することにはならないため、諸邦の人々には受け入れられやすかった。
カールは王権の強化を目指しながら、ボヘミア貴族の権利領域を認め、高位聖職者が主要な行政スタッフを務めた。一部の聖職者に土地や財産が集中し、不平や批判を招くことになった。
画像はカレル橋 ユネスコ世界遺産7 北・中央ヨーロッパ
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1340年代
同じ1348年カールはボヘミア、モラヴィア、シレジア、ラウジッツを「聖ヴァーツラフの王冠」のもとに統合した。「ボヘミア王冠の諸邦」という考え方は直接ボヘミアに従属することにはならないため、諸邦の人々には受け入れられやすかった。
カールは王権の強化を目指しながら、ボヘミア貴族の権利領域を認め、高位聖職者が主要な行政スタッフを務めた。一部の聖職者に土地や財産が集中し、不平や批判を招くことになった。
画像はカレル橋 ユネスコ世界遺産7 北・中央ヨーロッパ
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1340年代
