
アルフォンソ11世 ジブラルタル海峡を解放
1212年アルフォンソ8世はローマ教皇、アラゴン、ナバーラ、ポルトガルの支援を得て、ハエン北部のラス・ナバス・デ・トローサの戦いでムワッヒド軍を破った。
1230年にはカスティーリャ王国とレオン王国が、フェルナンド3世(在位1217〜52)により再統合されてカスティーリャ王国が成立した。
カスティーリャ王国ではフェルナンド3世によって「大レコンキスタ」が展開され、1236年にコルドバ、43年にムルシア、46年にハエンを攻略、37年以降グラナダ王ムハンマド1世を臣従させた。48年には騎士団やグラナダ王の軍事援助を得てセビーリャを陥落させた。コルドバとセビーリャは国王都市として、広大な属域とトレドの都市法が付与された。44年にはアラゴン王ハイメ1世とアルミスラ条約を結び、アラゴン王国との国境も確定させた。
アルフォンソ10世(在位1252〜84)の再征服はカディスなどの小規模なものだったが、同王のもとでローマ法を受け継ぐ法的・政治的統合が推進された。それまでのカスティーリャ王国は、複数の王国による複合国家で、法制度も多様だった。
1230年にはカスティーリャ王国とレオン王国が、フェルナンド3世(在位1217〜52)により再統合されてカスティーリャ王国が成立した。
カスティーリャ王国ではフェルナンド3世によって「大レコンキスタ」が展開され、1236年にコルドバ、43年にムルシア、46年にハエンを攻略、37年以降グラナダ王ムハンマド1世を臣従させた。48年には騎士団やグラナダ王の軍事援助を得てセビーリャを陥落させた。コルドバとセビーリャは国王都市として、広大な属域とトレドの都市法が付与された。44年にはアラゴン王ハイメ1世とアルミスラ条約を結び、アラゴン王国との国境も確定させた。
アルフォンソ10世(在位1252〜84)の再征服はカディスなどの小規模なものだったが、同王のもとでローマ法を受け継ぐ法的・政治的統合が推進された。それまでのカスティーリャ王国は、複数の王国による複合国家で、法制度も多様だった。
アルフォンソ10世は、ローマ法に基づく「七部法典」や「フエロ・レアル」を編纂させ、カスティーリャ王国の法的・政治的統合をめざした。また母后がホーエンシュタウフェン家出身であることから、大空位時代に神聖ローマ皇帝位を要求してもいる。アルフォンソ10世の改革運動は特権擁護をめざす貴族や都市の強い反発を招き、1284年王は失意のうちに死去した。
1325年に親政を始めたアルフォンソ11世(在位1312〜50)は、サラードの戦いでマリーン朝とグラナダ軍を破り、44年にはアルへシーラスを攻略して、ジブラルタル海峡を解放した。またレヒドール制導入や「七部法典」の実定法化を断行、王権による都市支配とカスティーリャ王国の法的・政治的統合をはかった。1348年のアルカラ条約によって、「七部法典」は、都市法に優越する王国統一法として実効性をもつことになった。
レヒドール 都市寡頭支配層のなかから国王が任命した上級都市官職保有者。寡頭支配層による都市支配の追認と王権の都市支配の強化を意味している。
1340年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
1325年に親政を始めたアルフォンソ11世(在位1312〜50)は、サラードの戦いでマリーン朝とグラナダ軍を破り、44年にはアルへシーラスを攻略して、ジブラルタル海峡を解放した。またレヒドール制導入や「七部法典」の実定法化を断行、王権による都市支配とカスティーリャ王国の法的・政治的統合をはかった。1348年のアルカラ条約によって、「七部法典」は、都市法に優越する王国統一法として実効性をもつことになった。
レヒドール 都市寡頭支配層のなかから国王が任命した上級都市官職保有者。寡頭支配層による都市支配の追認と王権の都市支配の強化を意味している。
1340年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史