大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

カジミエシ3世 ハリチ・ヴォイン公国の征服開始

1340年、ハリチ(ガーリチ)・ヴォイン公国のユーリー2世が毒殺された。カジミエシ3世はこのルーシ国を継承しようとしたが、リトアニアとキプチャク・ハン国(ハンガリーの東)が介入して、16年間戦いが続くことになった。
この戦いをきっかけに王は本格的な改革に取りかかった。北方の安全を図るために、1343年初めに西ポモージェと同盟し、7月にはドイツ騎士団とカリシで「永遠の和約」を結んだ。これによってポーランドはドブジンとクャーヴィを回復し、東ポモージェとへウムノを騎士団への「永遠の贈り物」とした。
内政の課題は貨幣の増収だった。現金収入としては臨時税、王領地の地代、貨幣操作と市場取引税、関税、鉱業、クラクフの商人からの借金などがあり、貨幣収入を管理する中央官職「国王財務長官」職がおかれた。(貨幣操作?) ウクライナへの進出はアジアとつながる黒海貿易からの関税などを目的としていて、遠隔地商業の発展にも務めた。
国内植民も進み、ルーシへ通じるカルパティア山麓の開発がおこなわれた。また王領地の回収政策も積極的に進められた。ヴィエルコポルスカでは反発した騎士の同盟が結成されたり、シロンスクではあまり成果が上がらなかったが、王国領土の統合は徐々に進み、1355年にはマゾフシェへの宗主権が確立された。また軍事改革も実施された。
1356年には、リトアニアとのあいだで妥協が成立し、ハリチ公国の領有が確定した。以後「王が一人であるように王国の法と貨幣もひとつでなければならない」という理念のもとで、中央集権的な内的統合が進められた。

1340年代
世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房 1328年