
スロイスの海戦
エドワード3世は1337年、フランドルを自らの陣営に取り込むために、羊毛の輸出を禁止した。イングランドの国家歳入の損失を伴う措置だが、ヨーロッパ随一の毛織物の産地だったフランドルにとって、原材料が入らなくなることは経済的打撃を受けるとともに社会不安を生み出すことになった。かわりにブラバンド商人には、フランドルへ再輸出しない条件で取引を認め、ブラバンド大公領とエノー伯領ほかからなる反フランス同盟を構築した。
この頃のフランドルの事情は
(1346年 ルイ・ド・マール フランドル伯を継ぐ)
1340年春、王は一時帰国したが、議会と妥協して承認された関税の徴収に手間取り、資金の裏付けがないまま再びフランス(フランドル)へ向かった。6月、エドワードはカスティーリャ海軍の支援を受けて、スロイスの海戦でフランス海軍に勝利し、英仏海峡の制海権を掌握した。その後トゥールネを囲んだが、傭兵への支払いが滞りフランス王と休戦した。軍費の不足で敗戦となったことから、40年11月、王は帰国し政治改革をおこなった。聖職者だった尚書部長官と財務府長官を更迭し、俗人二人を補充して、国王代理であるカンタベリ大司教の行政手腕を問いただした。
1341年春の議会で諸侯は、貴族は議会で同輩の面前で審理されるべきだと主張し、王が私的に大司教を詰問したことを非難した。議会による会計監査が義務づけられた。財務府や尚書部の長官は王と議会の貴族(ローズ)の同意で任命され、議会に法律遵守の宣誓をすることなどが王から認められたが、10月に取り消された。
1340年代
世界各国史11 イギリス史・世界各国史12 フランス史
この頃のフランドルの事情は
(1346年 ルイ・ド・マール フランドル伯を継ぐ)
1340年春、王は一時帰国したが、議会と妥協して承認された関税の徴収に手間取り、資金の裏付けがないまま再びフランス(フランドル)へ向かった。6月、エドワードはカスティーリャ海軍の支援を受けて、スロイスの海戦でフランス海軍に勝利し、英仏海峡の制海権を掌握した。その後トゥールネを囲んだが、傭兵への支払いが滞りフランス王と休戦した。軍費の不足で敗戦となったことから、40年11月、王は帰国し政治改革をおこなった。聖職者だった尚書部長官と財務府長官を更迭し、俗人二人を補充して、国王代理であるカンタベリ大司教の行政手腕を問いただした。
1341年春の議会で諸侯は、貴族は議会で同輩の面前で審理されるべきだと主張し、王が私的に大司教を詰問したことを非難した。議会による会計監査が義務づけられた。財務府や尚書部の長官は王と議会の貴族(ローズ)の同意で任命され、議会に法律遵守の宣誓をすることなどが王から認められたが、10月に取り消された。
1340年代
世界各国史11 イギリス史・世界各国史12 フランス史
