
ペスト大流行 フランス
1347年初秋、ジェノヴァ商人の船団が、黒海沿岸のカッファからシチリア島のメッシーナに東方の商品を運んだ。そのときにペスト菌も一緒に運んだらしい。この伝染病は遺体が黒ずむことから黒死病とも呼ばれた。
菌の発生地はシベリア、バイカル湖近くの森林地帯とされ、森に棲むマーモットや黒鼠などの齧歯類につく蚤が宿主だった。1339年ころに中央アジアで流行していたことが確認されていて、シルクロードをとおって西に伝わったとされている。(発生地などには諸説あります)
1340年代 ペスト大流行
世界各国史12フランス史
菌の発生地はシベリア、バイカル湖近くの森林地帯とされ、森に棲むマーモットや黒鼠などの齧歯類につく蚤が宿主だった。1339年ころに中央アジアで流行していたことが確認されていて、シルクロードをとおって西に伝わったとされている。(発生地などには諸説あります)
1340年代 ペスト大流行
世界各国史12フランス史
フランスでは1347年中に、マルセイユからローヌ川沿いのエクス、アルル、アヴィニョンに広まった。1348年にはラングドック地方やスペイン、ボルドーへ進み、年末には北フランスに及んだ。
同時代の年代記作者フロワサールは、人口の三分の一が失われたと伝えている。ブルゴーニュ地方のある村の教区簿冊には1338年から50年にかけての結婚、死亡の記録が残されている。平年20〜25人だった死亡者数が1348年には649人になっている。年平均20組だった結婚数は1348年には0組、1349年には86組となり、息を潜めて暮らしていた人々が、大流行が去ったあと、ただちに生活の再建に立ち上がった様子がみられる。
同時代の年代記作者フロワサールは、人口の三分の一が失われたと伝えている。ブルゴーニュ地方のある村の教区簿冊には1338年から50年にかけての結婚、死亡の記録が残されている。平年20〜25人だった死亡者数が1348年には649人になっている。年平均20組だった結婚数は1348年には0組、1349年には86組となり、息を潜めて暮らしていた人々が、大流行が去ったあと、ただちに生活の再建に立ち上がった様子がみられる。