
国王選挙法
ルードルフ1世のあと、いくつかの家系からドイツ王が選出されたが、ルートヴィヒ4世(国王在位1314〜47)の選挙に教皇ヨハンネス22世は非合法性を主張し、あらたに国王を選ぶように命じた。ドイツの選帝侯はこれに反発、選挙の正当性を主張し独自に国王選挙法を定めることにした。
1338年8月、ボヘミア王を除く6人の選帝侯がレンス(レンゼ)に集まり、国王選挙に関する議決(レンス判告)をおこなった。国王の選出にあたって多数の同意があれば全会の同意があったとみなし、結果について「教皇の同意を必要としない」ことを宣言した。
ドイツ国王ルートヴィヒ4世は同年8月フランクフルトで帝国会議を開き、レンスの議決を裁可、帝国の国王選挙法「リケット・ユーリス」を公布した。
これによって、選帝侯の全会一致または多数によって皇帝もしくは国王に選出された者は、選挙によるだけで、「教皇の承認と確認、同意または合意」なしに、ただちに「真のローマ王にして皇帝となる」(ローマ王とはドイツ国王をさす)ことが定められた。立場が強化されたルートヴィヒ4世だったが、強引な家領政策によって諸侯の反発を招き、1346年に廃位を宣言された。
1338年8月、ボヘミア王を除く6人の選帝侯がレンス(レンゼ)に集まり、国王選挙に関する議決(レンス判告)をおこなった。国王の選出にあたって多数の同意があれば全会の同意があったとみなし、結果について「教皇の同意を必要としない」ことを宣言した。
ドイツ国王ルートヴィヒ4世は同年8月フランクフルトで帝国会議を開き、レンスの議決を裁可、帝国の国王選挙法「リケット・ユーリス」を公布した。
これによって、選帝侯の全会一致または多数によって皇帝もしくは国王に選出された者は、選挙によるだけで、「教皇の承認と確認、同意または合意」なしに、ただちに「真のローマ王にして皇帝となる」(ローマ王とはドイツ国王をさす)ことが定められた。立場が強化されたルートヴィヒ4世だったが、強引な家領政策によって諸侯の反発を招き、1346年に廃位を宣言された。

(選帝侯に選出されてローマ王、教皇から帝冠を授けられて皇帝となるはずだが‥)
世界各国史13 ドイツ史 1330年代以前