
帝国自由都市
ドイツでは7世紀頃から国王や司教の滞在地を中心に都市化が進んだが、農業中心の経済だったため、住民の多くは農耕に携わっていた。中世になると、余剰生産物や手工業品を交換する市場や集落が、領主の城砦や修道院、司教座などに隣接して発達し、城砦と一体化して都市が成長していった。ニュルンベルク、フランクフルト、ケルン、ハンブルクなど。
また領内や東部の異教地帯に君主や司教によって計画的に都市が建設されることもあった。このような建設都市はリューベック、ロストック、ダンツィヒ(グダンスク)など。領主たちは異教世界の建設都市に人々を勧誘し、そこを拠点にキリスト教と自己の支配域を広げようとした。非自由人にも自由と安全が保証され、下級貴族や農民たちが移住し、商業や手工業に従事し始め、遠隔地交易も進められた。
都市は異教徒や私戦での掠奪の対象ともなったので、防衛のために外壁を築き、領主はそのための特許状を与えた。都市の人々は絆を強め、誓約によって仲間・市民となり、支配者に租税を支払った。東部の防衛最前線では支配者の敵と戦った。
やがてさらに自立した市民は、領主から自治の権利を勝ち取るようになった。都市に入った人は、たとえ隷属民でも1年と1日で自由を獲得した(都市の空気は自由にする)。都市の自治の担い手は遠隔地交易に従事していた商人のギルドだった。有力者は13世紀になると貴族化し、市長や参事会員として都市を支配した。
また領内や東部の異教地帯に君主や司教によって計画的に都市が建設されることもあった。このような建設都市はリューベック、ロストック、ダンツィヒ(グダンスク)など。領主たちは異教世界の建設都市に人々を勧誘し、そこを拠点にキリスト教と自己の支配域を広げようとした。非自由人にも自由と安全が保証され、下級貴族や農民たちが移住し、商業や手工業に従事し始め、遠隔地交易も進められた。
都市は異教徒や私戦での掠奪の対象ともなったので、防衛のために外壁を築き、領主はそのための特許状を与えた。都市の人々は絆を強め、誓約によって仲間・市民となり、支配者に租税を支払った。東部の防衛最前線では支配者の敵と戦った。
やがてさらに自立した市民は、領主から自治の権利を勝ち取るようになった。都市に入った人は、たとえ隷属民でも1年と1日で自由を獲得した(都市の空気は自由にする)。都市の自治の担い手は遠隔地交易に従事していた商人のギルドだった。有力者は13世紀になると貴族化し、市長や参事会員として都市を支配した。
ドイツでは、司教や領邦君主から自治権を得た都市は、帝国自由都市と呼ばれ、従うのは皇帝の権威だけとされた。大都市(リューベック、アウクスブルク、ニュルンベルクなど)は独自の裁判権、戦争と講和の権利を実行し、領邦諸侯と同様の地位を得ていた。多くの都市の人口は1000人くらいだが、最大の都市ケルンの人口は13・14世紀に4万人だった。
帝国自由都市は皇帝、領邦君主、聖界諸侯とともに帝国の重要な構成部分となった。帝国自由都市の自治権は、1489年、フランクフルトの帝国議会で正式に認知され、帝国議会で二票にすぎないが第三身分の議席を獲得した。
都市は自らの利益を守るために互いに同盟を結んだ。北イタリアの諸都市は、皇帝の支配と武力干渉に対抗するためにロンバルディア同盟をつくり、ライン河畔のマインツ、ヴォルムス、ケルンなどの都市はライン都市同盟を結成し、ラント平和の確立を求めた。
「諸侯の利益のための定め」と金印勅書は、選帝侯や諸侯の大権を認めたが、諸侯の利益に反する都市同盟は実質的に否定した。
世界各国史13「ドイツ史」では第2章では諸侯が使われ、第3章では等族が使われている。
帝国等族(帝国議会を構成する聖俗の諸侯と帝国都市)、
領邦等族(領邦議会を構成する貴族、聖職者、領邦都市)。
世界各国史13 ドイツ史
ヨーロッパ史年表 1330年代以前
帝国自由都市は皇帝、領邦君主、聖界諸侯とともに帝国の重要な構成部分となった。帝国自由都市の自治権は、1489年、フランクフルトの帝国議会で正式に認知され、帝国議会で二票にすぎないが第三身分の議席を獲得した。
都市は自らの利益を守るために互いに同盟を結んだ。北イタリアの諸都市は、皇帝の支配と武力干渉に対抗するためにロンバルディア同盟をつくり、ライン河畔のマインツ、ヴォルムス、ケルンなどの都市はライン都市同盟を結成し、ラント平和の確立を求めた。
「諸侯の利益のための定め」と金印勅書は、選帝侯や諸侯の大権を認めたが、諸侯の利益に反する都市同盟は実質的に否定した。
世界各国史13「ドイツ史」では第2章では諸侯が使われ、第3章では等族が使われている。
帝国等族(帝国議会を構成する聖俗の諸侯と帝国都市)、
領邦等族(領邦議会を構成する貴族、聖職者、領邦都市)。
世界各国史13 ドイツ史
ヨーロッパ史年表 1330年代以前