
エドワード3世 即位
1327年1月末、王子が宣誓してエドワード3世(14歳 在位1327〜77)として即位した。政治の実権は母后イザベルと愛人ロージャ・モーティマが握っていた。モーティマはウェールズ辺境地方で領地を増やし、1328年にはウェールズ辺境伯の称号を得た。ほかの諸侯たちは摂政となったランカスタ伯を中心に反宮廷派として行動した。1330年モーティマは逮捕され、処刑された。母后も隠退し、エドワードは大諸侯の共同助言に基づく政治を誓った。
エドワードはスコットランドの貴族エドワード・ベイリアルを援助して、ロバート・ブルースの息子でスコットランド王のデイヴィッド2世と戦わせた。1332年ベイリアルはデイヴィッド軍を破り、スコットランド王として戴冠した。しかし同年末に襲われ、エドワードに助けを求めた。
1330年代以前
エドワードはスコットランドの貴族エドワード・ベイリアルを援助して、ロバート・ブルースの息子でスコットランド王のデイヴィッド2世と戦わせた。1332年ベイリアルはデイヴィッド軍を破り、スコットランド王として戴冠した。しかし同年末に襲われ、エドワードに助けを求めた。
1330年代以前
エドワードは北上してベリックを囲んだが、スコットランド軍も南下、イングランド軍が勝利して、1334年にはイングランド王の宗主権を認めさせ、ベリック州を割譲させた。デイヴィッド夫妻はフランスに亡命したが、ベイリアルの支配も確立できず、同年末再びイングランドへ逃れてきた。その後イングランド軍の侵入は繰り返されたが、1336年フランス王フィリップ6世はデイヴィッドの復位を求めエドワードを牽制した。エドワードはブリテン島統一のためにはフランス・カペー家との関係を考慮することが必要になった。フィリップ6世にとってもフランス統一のためにアキテーヌを自らの宗主権下におく必要があった。1336年にはイングランド船を攻撃させ、ワイト島に上陸して略奪している。
世界各国史15 イタリア史
世界各国史15 イタリア史