
マグヌス・エーリクソン(エーリック公の3歳の遺児)を王に選出
スウェーデンではしばしば男系王統が途絶えて、古い王家の血筋とつながりがある複数の門閥が王位を争っていた。13世紀中頃、エーリック・エーリクソン王が死去して、有力な二つの王家双方の男系が途絶えた。
1250年ころ、スウェーデンでもっとも影響力を持っていたヤール(地域支配者)で将軍職にあったビルイェルの息子ヴァルデマールが王に選出された。新王家の通称はフォルクング家。以後2世代は王族内・兄弟間で権力争いが続いた。ヴァルデマールの弟マグヌスは一代限りのスヴェーア公だったが、父の死後、1275年に兄王を放逐した。
マグヌス王は中央王権の確立に寄与した。高位聖職者と有力貴族からなる王国参事会は常設機関となり、制度としての「貴族」も創られた。1280年のアルスネー勅令で馬上軍務に就く者を免税(貴族)とし、翌年には教会の土地・聖職者も免税となった。
1250年ころ、スウェーデンでもっとも影響力を持っていたヤール(地域支配者)で将軍職にあったビルイェルの息子ヴァルデマールが王に選出された。新王家の通称はフォルクング家。以後2世代は王族内・兄弟間で権力争いが続いた。ヴァルデマールの弟マグヌスは一代限りのスヴェーア公だったが、父の死後、1275年に兄王を放逐した。
マグヌス王は中央王権の確立に寄与した。高位聖職者と有力貴族からなる王国参事会は常設機関となり、制度としての「貴族」も創られた。1280年のアルスネー勅令で馬上軍務に就く者を免税(貴族)とし、翌年には教会の土地・聖職者も免税となった。
スウェーデン語の「貴族」は負担免除を意味している。軍務貴族が創られて、一般農民は軍務から解放され、軍役代納金を主な起源とする租税が課せられた。これら二つの身分は世襲的・固定的ではなく、租税負担農民に騎乗軍務に就く力があり、それを望めば軍務貴族となることができた。1284年、マグヌス王は選挙王制に干渉して、長男ビルイェルを次期王位継承者に選出させた。
1302年、ビルイェルの戴冠とともに、弟のエーリックとヴァルデマールはそれぞれ一代限りの公となった。この兄弟たちは公然と対立し、1317年、王ビルイェルは二人の兄弟を宴に招き、捕らえて殺した。翌年国王参事会は王を追放し、1319年エーリック(1313年にノルウェー王女インゲボルグと結婚)の3歳の遺児マグヌスを王に選んだ。
1330年代以前
世界各国史21 北欧史
1302年、ビルイェルの戴冠とともに、弟のエーリックとヴァルデマールはそれぞれ一代限りの公となった。この兄弟たちは公然と対立し、1317年、王ビルイェルは二人の兄弟を宴に招き、捕らえて殺した。翌年国王参事会は王を追放し、1319年エーリック(1313年にノルウェー王女インゲボルグと結婚)の3歳の遺児マグヌスを王に選んだ。
1330年代以前
世界各国史21 北欧史
