
マグヌス・エーリクソン即位 母インゲボルグ 摂政
ノルウェー王ホーコン5世(在位1299〜1319)には息子がいなかった。王は娘インゲボルグの子に王位が継承されるように継承法を改訂し、摂政役を務める参事会を任命していた。
1319年マグヌス・エーリクソン(3歳)が王位につき、母インゲボルグが摂政になった。マグヌスの父はスウェーデン最大の実力者エーリック公だったが、不仲だった兄王ビルイェル・マグヌスソンに弟とともに捕らえられ、殺された。スウェーデン貴族はビルイェル王を追放して、マグヌス・エーリクソンを王にむかえた。
1319年、ノルウェー・スウェーデン両国の参事会は、同じ君主をもつ両国それぞれの完全な独立を確保する方策を協議した(オスロ協定)。
1330年代以前
世界各国史21 北欧史
1319年マグヌス・エーリクソン(3歳)が王位につき、母インゲボルグが摂政になった。マグヌスの父はスウェーデン最大の実力者エーリック公だったが、不仲だった兄王ビルイェル・マグヌスソンに弟とともに捕らえられ、殺された。スウェーデン貴族はビルイェル王を追放して、マグヌス・エーリクソンを王にむかえた。
1319年、ノルウェー・スウェーデン両国の参事会は、同じ君主をもつ両国それぞれの完全な独立を確保する方策を協議した(オスロ協定)。
1330年代以前
世界各国史21 北欧史
王は二つの王国に同じ期間ずつ滞在し、それぞれの王国ではその法と参事会の助言によって統治する。国の富は他方の国に移されてはならず、片方の戦争に他方の兵が用いられてはならない。王と摂政インゲボルグだけが両国を結ぶ。
1331年、マグヌスは親政を始め、息子の兄エーリックはスウェーデン王を継ぐことになり、弟のホーコンはノルウェー王太子(1343年に即位、1355年から親政)となった。
インゲボルグはエーリック公の元側近たちと結び、亡夫の領土と政治的役割を継承した。エーリック公の西スウェーデンの膨大な支配圏とエーリック公が奪っていたデンマーク領ハッランドの北半分、インゲボルグの婚資だったノルウェー領ボーヒュースレーン、三国におよぶ支配領域は、インゲボルグに、次いでマグヌスに継承された。
1331年、マグヌスは親政を始め、息子の兄エーリックはスウェーデン王を継ぐことになり、弟のホーコンはノルウェー王太子(1343年に即位、1355年から親政)となった。
インゲボルグはエーリック公の元側近たちと結び、亡夫の領土と政治的役割を継承した。エーリック公の西スウェーデンの膨大な支配圏とエーリック公が奪っていたデンマーク領ハッランドの北半分、インゲボルグの婚資だったノルウェー領ボーヒュースレーン、三国におよぶ支配領域は、インゲボルグに、次いでマグヌスに継承された。
