
カーロイ1世 即位
1301年ハンガリーの王国創設以来の王家、アールパード家が断絶したため、女系をたどって王位継承候補者を捜すことになった。当時ハンガリー王国は一部の大貴族が地方君侯として、なかば独立した勢力となっていたため、国内に基盤をもたない新国王が国内を再統一し、王権を強化するのが困難な時期だった。
1308年、ナポリ・アンジュー家のカロベルトがカーロイ1世(在位1308〜42)として即位した。当初地方君侯と妥協していたが、忠実な臣下を増やすと、服従しない地方君侯を武力で制圧し、1320年代半ばには王国を統合していた。地方君侯から没収した土地と城はアンジュー家の権力基盤となり、官職封(ホノル)として忠臣に保有させて、アンジュー派貴族と呼ばれる新しい支配層を作り上げた。
1308年、ナポリ・アンジュー家のカロベルトがカーロイ1世(在位1308〜42)として即位した。当初地方君侯と妥協していたが、忠実な臣下を増やすと、服従しない地方君侯を武力で制圧し、1320年代半ばには王国を統合していた。地方君侯から没収した土地と城はアンジュー家の権力基盤となり、官職封(ホノル)として忠臣に保有させて、アンジュー派貴族と呼ばれる新しい支配層を作り上げた。
国内秩序を安定させると、国王収入増加のために、鉱山開発を進め、貨幣制度を改革し、「門税」と呼ばれる両替差益による収入を制度化した。関税収入やトランシルヴァニア地方の岩塩もあって国庫は潤っていた。
ハプスブルク家との関係は1320年代後半以降悪化し、しばしば戦闘が起きたが、ボヘミアとは良好な関係を保ち、ポーランドとは婚姻関係で強く結ばれていた。ボヘミアとポーランドはシレジア領有などを巡って対立していたため、1335年カーロイは双方の国王をハンガリーに招き和解させた。続いて三者間で同盟が成立したが、事実上の反ハプスブルク同盟だった。
1330年代以前
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
ハプスブルク家との関係は1320年代後半以降悪化し、しばしば戦闘が起きたが、ボヘミアとは良好な関係を保ち、ポーランドとは婚姻関係で強く結ばれていた。ボヘミアとポーランドはシレジア領有などを巡って対立していたため、1335年カーロイは双方の国王をハンガリーに招き和解させた。続いて三者間で同盟が成立したが、事実上の反ハプスブルク同盟だった。
1330年代以前
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史