
ルドルフ1世死去 ボヘミア王ヨハン
1291年ハプスブルク家出身の最初の皇帝ルドルフが死去した。選挙侯たちはハプスブルク家が強大になることを避けるために、ナッサウの小領主アドルフを国王(在位1291〜98)に選んだ。
アルブレヒト1世(ルドルフの息子)はオーストリア大公(在位1282〜1308)として権力強化を図り、ハンガリー王と同盟を結んでいた。
1298年、アドルフは選挙侯によって廃位され、アルブレヒト1世に襲われて殺害された。皇帝に選出されたアルブレヒト1世(在位1298〜1308)は1300年にフランスと同盟を結び、ボヘミア王にクトナー・ホラ銀山の収益などを要求した。1304年、ボヘミアとの争いに敗れたアルブレヒト1世は要求を撤回した。ボヘミアにはイフラヴァとクトナー・ホラの銀鉱があり、グロシュ銀貨はハンガリーのフォリント金貨とともに各地で高い評価を得ていた。
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1330年代以前
アルブレヒト1世(ルドルフの息子)はオーストリア大公(在位1282〜1308)として権力強化を図り、ハンガリー王と同盟を結んでいた。
1298年、アドルフは選挙侯によって廃位され、アルブレヒト1世に襲われて殺害された。皇帝に選出されたアルブレヒト1世(在位1298〜1308)は1300年にフランスと同盟を結び、ボヘミア王にクトナー・ホラ銀山の収益などを要求した。1304年、ボヘミアとの争いに敗れたアルブレヒト1世は要求を撤回した。ボヘミアにはイフラヴァとクトナー・ホラの銀鉱があり、グロシュ銀貨はハンガリーのフォリント金貨とともに各地で高い評価を得ていた。
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1330年代以前
1305年ボヘミア王ヴァーツラフ2世が死去。翌年、後を継いだヴァーツラフ3世がポーランド遠征途上オロモウツで暗殺され、プシェミスル朝が途絶えた。国王選出権はボヘミア貴族にあり、ヴァーツラフ2世の娘のひとり、アンナと結婚していたケルンテン大公ハインリヒが国王に選出された。しかしハプスブルク家の干渉でチェコから追放された。代わって皇帝アルブレヒト1世の息子ルドルフが国王(在位1306〜1307)になったが、貴族たちと対立、翌年急死してしまった。ケルンテン大公が再度王位に就いたが、貴族たちはよりふさわしい人物をさがしていた。
1308年、皇帝アルブレヒト1世が暗殺され、フランス王家と姻戚関係にあったルクセンブルク家のハインリヒ7世が次期皇帝(在位1308〜13)に選出された。ボヘミアの貴族はハインリヒの息子ヨハンを国王にふさわしいと考え、皇帝もそれを認めた。1310年ルクセンブルク伯でもあったヨハンは軍を率いてプラハに入りケルンテン大公を追放した。
1308年、皇帝アルブレヒト1世が暗殺され、フランス王家と姻戚関係にあったルクセンブルク家のハインリヒ7世が次期皇帝(在位1308〜13)に選出された。ボヘミアの貴族はハインリヒの息子ヨハンを国王にふさわしいと考え、皇帝もそれを認めた。1310年ルクセンブルク伯でもあったヨハンは軍を率いてプラハに入りケルンテン大公を追放した。