
エーリク5世 「王の誓約」を発布
1104年、ニルス王は即位にあたって、臣下・貴族の権利を保障する誓約をおこない、以後「法と権利を守る」誓約は即位に伴う慣行儀式となった。ニルス王は対立者(王位請求権者)である甥クヌーズを一代限りで王国南部スレースヴィの公としたが、クヌーズは周辺を征服して「王」を名乗り、自らはドイツ皇帝の封建的臣下となった。以後デンマーク王国は、スレースヴィ公国とドイツ諸侯・皇帝との関係に悩まされることになった。
ヴァルデマー1世(大王)とともに王国再建の時代(1157〜1375年)が始まった。彼はドイツ皇帝に臣従の誓いをなし、叙任権闘争では皇帝を支持し、息子クヌーズを慣行の選挙手続きをとらずに後継者として認知させた。全土に城塞を築き、島嶼部を荒らしていたヴェンド人海賊の拠点リューゲン島を征服し、ルンド大司教となったアブサロンはスカンディナヴィア半島南部のスコーネ人を王国に再統合した。
1182年、ヴァルデマー1世が急死しクヌーズ(通称6世)が即位、皇帝の臣従誓約要求を拒否した。ルンド大司教と同盟した王権は強力で、メクレンブルク、ポンメルンなどヴェンド人地域を属領とし、王弟ヴァルデマーが公として支配していたスレースヴィやその南のホルシュタインも属領とした。
1202年スレースヴィ公ヴァルデマーは兄王を継承した。ヴァルデマー2世(勝利王)は父と兄の政策を引き継ぎ、安定した収入と武力を確保するために、土地所有農民を、軍務だけを負う「貴族」と納税義務だけを負う農民に分けた。
1330年代以前 世界各国史21 北欧史
ヴァルデマー1世(大王)とともに王国再建の時代(1157〜1375年)が始まった。彼はドイツ皇帝に臣従の誓いをなし、叙任権闘争では皇帝を支持し、息子クヌーズを慣行の選挙手続きをとらずに後継者として認知させた。全土に城塞を築き、島嶼部を荒らしていたヴェンド人海賊の拠点リューゲン島を征服し、ルンド大司教となったアブサロンはスカンディナヴィア半島南部のスコーネ人を王国に再統合した。
1182年、ヴァルデマー1世が急死しクヌーズ(通称6世)が即位、皇帝の臣従誓約要求を拒否した。ルンド大司教と同盟した王権は強力で、メクレンブルク、ポンメルンなどヴェンド人地域を属領とし、王弟ヴァルデマーが公として支配していたスレースヴィやその南のホルシュタインも属領とした。
1202年スレースヴィ公ヴァルデマーは兄王を継承した。ヴァルデマー2世(勝利王)は父と兄の政策を引き継ぎ、安定した収入と武力を確保するために、土地所有農民を、軍務だけを負う「貴族」と納税義務だけを負う農民に分けた。
1330年代以前 世界各国史21 北欧史
1219年エストニアに十字軍遠征をおこなって占領し、バルト海南岸一帯を支配する大国となった。しかしドイツ勢力と敵対することになって、1223年ドイツ諸侯に誘拐されて囚われた。解放条件はエストニアとリューゲン島を除く全獲得地の放棄とハンザ同盟に対する商業特権の付与だった。
ヴァルデマー2世の死後、有力者たちの影響力が強まった。エーリク5世はドイツ流の、貴族に服従を求める支配を導入しようとしたが、逆に屈服させられ、1282年に貴族の特権と各地方の法的自立を承認する「王の誓約」を発布した。国政については貴族たちによる「廷臣会議」の毎年召集が約束され、何人も法的手続きなしに追放・投獄されない保証も含まれていた。このデンマーク版マグナ・カルタは1320年のクリストファ2世以降、即位憲章として王の代替わりごとに繰り返された。
1286年にエーリク5世が暗殺され、エーリク6世が即位した。財政難が深刻になり、課税強化は農民反乱を起こしたため、王は王国の領土を有力者やドイツ諸侯に質入れした。質地領主は、質地にたいして王に代わって課税等の権利を得た。
クリストファ2世の頃にはさらに悪化していた。ホルシュタイン伯と質地領主たちは1326年、スレースヴィ公ヴァルデマー(3世)を王位に就けた。クリストファは1329年王位に復帰したが、王国領の大部分は二人のホルシュタイン伯のもとにあった。8年の空位の後、1340年にヴァルデマー4世(再興王)が即位したとき、王の実効領土はほとんどなかった。
ヴァルデマー時代の系図
ヴァルデマー2世の死後、有力者たちの影響力が強まった。エーリク5世はドイツ流の、貴族に服従を求める支配を導入しようとしたが、逆に屈服させられ、1282年に貴族の特権と各地方の法的自立を承認する「王の誓約」を発布した。国政については貴族たちによる「廷臣会議」の毎年召集が約束され、何人も法的手続きなしに追放・投獄されない保証も含まれていた。このデンマーク版マグナ・カルタは1320年のクリストファ2世以降、即位憲章として王の代替わりごとに繰り返された。
1286年にエーリク5世が暗殺され、エーリク6世が即位した。財政難が深刻になり、課税強化は農民反乱を起こしたため、王は王国の領土を有力者やドイツ諸侯に質入れした。質地領主は、質地にたいして王に代わって課税等の権利を得た。
クリストファ2世の頃にはさらに悪化していた。ホルシュタイン伯と質地領主たちは1326年、スレースヴィ公ヴァルデマー(3世)を王位に就けた。クリストファは1329年王位に復帰したが、王国領の大部分は二人のホルシュタイン伯のもとにあった。8年の空位の後、1340年にヴァルデマー4世(再興王)が即位したとき、王の実効領土はほとんどなかった。
ヴァルデマー時代の系図