地中海 11世紀
969年チュニスのファーティマ朝はエジブトに進出した。その隙間をねらったジェノヴァとピサは1034年にアルジェリアのボーヌ(現アンナバ)、1087年にチュニジアのマーディーアを占領した。それによってシチリア海峡の制海権が確保された。ヴェネツィアはコンスタンティノープルやエジプトと交易をしていたが、ビザンツ領の港では高い関税を支払わされていた。
1018年イタリア南部プッリアでランゴバルド系貴族がビザンツ帝国からの独立運動を始めたとき、これに参加したノルマン人の一団があった。のちにノルマン人はシチリアを占領した後イタリア南部でビザンツ勢力を一掃、バルカン地方にも進出した。ビザンツ帝国はノルマン人の進出に対抗できる海軍を持っていなかったため、皇帝アレクシオス1世(在位1081〜1118)はヴェネツィアに関税免除を条件に援助を求めた。何度かの海戦の後1085年にノルマン人はバルカン半島から撤退した。
1018年イタリア南部プッリアでランゴバルド系貴族がビザンツ帝国からの独立運動を始めたとき、これに参加したノルマン人の一団があった。のちにノルマン人はシチリアを占領した後イタリア南部でビザンツ勢力を一掃、バルカン地方にも進出した。ビザンツ帝国はノルマン人の進出に対抗できる海軍を持っていなかったため、皇帝アレクシオス1世(在位1081〜1118)はヴェネツィアに関税免除を条件に援助を求めた。何度かの海戦の後1085年にノルマン人はバルカン半島から撤退した。
1071年セルジューク・トルコが小アジアのマンジケルト(マラーズギルド)でビザンツ軍を破りエルサレムを占領した。
1095年ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、傭兵の派遣を期待して教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。教皇はクレルモン教会会議でエルサレム奪回を訴えた。教皇の訴えは教皇権に新しく軍事的役割を与えることになった。
1096年、第1次十字軍がレヴァント地方を襲い、1099年にエルサレムを占領した。十字軍の兵員や戦略物資の輸送で台頭したのがイタリアの港市だった。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目
下左 11世紀後半のイスラーム世界
詳説 世界史研究 山川出版社
下右 11世紀のビザンツ帝国
詳説 世界史図録 山川出版社
1095年ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、傭兵の派遣を期待して教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。教皇はクレルモン教会会議でエルサレム奪回を訴えた。教皇の訴えは教皇権に新しく軍事的役割を与えることになった。
1096年、第1次十字軍がレヴァント地方を襲い、1099年にエルサレムを占領した。十字軍の兵員や戦略物資の輸送で台頭したのがイタリアの港市だった。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目
詳説 世界史研究 山川出版社
下右 11世紀のビザンツ帝国
詳説 世界史図録 山川出版社