インド洋 11世紀以降(中国)
10世紀以後中国の輸出品のなかで陶磁器の占める割合が絹製品を上回るようになった。この頃ペルシャでも絹の生産が始められ、それがビザンツ帝国にも広がった。宋代には多くの陶磁器が輸出され、12世紀に滅んだファーティマ朝フスタートからは大量の良質な陶磁器が出土している。
13世紀初めから中国は香料の輸入を増やしている。宋代後期に中国料理の原型ができたとされ、コショウなどが大量に輸入されるようになった。宋代には500石級の大型帆船が作られ、インド西海岸まで通うようになった。「諸蕃志」「嶺外代答」など貿易・地理書が編纂され、貿易を管理する市舶司を置く港も増えている。
「諸蕃志」にはモロッコ、シチリア、ムラービトなど広い地域を視野に多様な貿易品目があげられている。南宋時代には泉州(ザイトン)が栄え、多くのアラブ人、ペルシャ人が住んでいた。その繁栄は元代まで続きマルコ・ポーロを驚かせた。
南宋時代には華南地方の開発が進み、農業では品種改良と二毛作で生産が飛躍的に向上、綿・茶など換金作物の生産も増えた。農村にも貨幣経済が浸透、都市では消費生活の向上、食生活の多様化、サーヴィス業の発達など市民の生活も豊かになった。
11世紀の東アジア
13世紀初めから中国は香料の輸入を増やしている。宋代後期に中国料理の原型ができたとされ、コショウなどが大量に輸入されるようになった。宋代には500石級の大型帆船が作られ、インド西海岸まで通うようになった。「諸蕃志」「嶺外代答」など貿易・地理書が編纂され、貿易を管理する市舶司を置く港も増えている。
「諸蕃志」にはモロッコ、シチリア、ムラービトなど広い地域を視野に多様な貿易品目があげられている。南宋時代には泉州(ザイトン)が栄え、多くのアラブ人、ペルシャ人が住んでいた。その繁栄は元代まで続きマルコ・ポーロを驚かせた。
南宋時代には華南地方の開発が進み、農業では品種改良と二毛作で生産が飛躍的に向上、綿・茶など換金作物の生産も増えた。農村にも貨幣経済が浸透、都市では消費生活の向上、食生活の多様化、サーヴィス業の発達など市民の生活も豊かになった。
11世紀の東アジア
宋代になると大量の貨幣が流通した。東南アジアや日本からも宋銭が見つかっている。1023年には政府が正式に紙幣を発行した。その他有価証券、手形のようなものも発行され、流通経済の発展を示している。また燃料も木を切るだけでなく、華北の石炭をが利用され一般家庭のほか鉄の精錬、陶磁器制作にも使われた。11世紀初めにはコークスが鉄の大量生産を可能にしたとされる。イギリスでコークスが利用されたのは1750年頃。南宋の都東京(トンキン)には役所や兵営などのほか、商業地区や歓楽街があり、道路は石で舗装されていた。
北方遊牧民からの圧力は続き、西方への輸送は南シナ海・インド洋経由の海路が主力となった。元朝(1271〜1368)を除くと貿易通路としての内陸アジアの利用は減少していった。元朝でも海外貿易は堅調で、商船はインド西岸まで航行している。また安南(ヴェトナム)、占城(チャンパ)、緬国(ビルマ)などを軍事的に制圧、真臘(カンボジヤ)、羅(シャム)に朝貢関係を結ばせている。ジャワ国への遠征には失敗している。個人的にはマルコ・ポーロが書いているのはこの時のことだと思える。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目
12世紀の東アジア 詳説 世界史図録 山川出版社
北方遊牧民からの圧力は続き、西方への輸送は南シナ海・インド洋経由の海路が主力となった。元朝(1271〜1368)を除くと貿易通路としての内陸アジアの利用は減少していった。元朝でも海外貿易は堅調で、商船はインド西岸まで航行している。また安南(ヴェトナム)、占城(チャンパ)、緬国(ビルマ)などを軍事的に制圧、真臘(カンボジヤ)、羅(シャム)に朝貢関係を結ばせている。ジャワ国への遠征には失敗している。個人的にはマルコ・ポーロが書いているのはこの時のことだと思える。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目