インド洋 7〜10世紀2
アラブ人は遊牧民だったがシリア、エジプトの沿岸に出ると地中海に進出、次いでペルシャ湾、インド洋にも向かった。750年アッバース朝が興り、都をダマスカスからバグダードに移すと多くの商人がインド、中国へ向かうようになった。
ペルシャ湾を出るとインド・マラバール海岸、セレンディブ島(セイロン)、マレー半島、マラッカ、インドシナのチャンパを経て中国・広東に着いた。マラバール海岸から広東まで3ヵ月かかったという。
航海に使われたのはダウと呼ばれる大型の帆船。紀元前から使われていたらしいが、7世紀以降アラブ人のインド洋進出で急速に普及した。竜骨がなく、舷側の板は縄でつなぎ、継ぎ目には油で練った石灰を詰めて防水としたらしい。このような簡単な構造で大型の帆船が作れるとは考えにくいが、多くの資料でも同様に説明されている。増田氏も「アラビア海やベンガル湾が比較的穏やかな海であったために、この簡単な構造の船で十分だった」とされている。
10世紀半ばにアッバース朝は勢力を失い、アラブ人のインド洋航海も退潮となりマラッカで中国船と交易を行うようになった。マラッカを支配していたシュリーヴィジャヤ王国は13世紀まで栄え、中国船はベンガル湾へ向かうようになった。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目詳説 世界史研究 山川出版社
上 イスラーム世界の広がり(7〜10世紀)
下 10世紀後半のイスラーム世界
ペルシャ湾を出るとインド・マラバール海岸、セレンディブ島(セイロン)、マレー半島、マラッカ、インドシナのチャンパを経て中国・広東に着いた。マラバール海岸から広東まで3ヵ月かかったという。
航海に使われたのはダウと呼ばれる大型の帆船。紀元前から使われていたらしいが、7世紀以降アラブ人のインド洋進出で急速に普及した。竜骨がなく、舷側の板は縄でつなぎ、継ぎ目には油で練った石灰を詰めて防水としたらしい。このような簡単な構造で大型の帆船が作れるとは考えにくいが、多くの資料でも同様に説明されている。増田氏も「アラビア海やベンガル湾が比較的穏やかな海であったために、この簡単な構造の船で十分だった」とされている。
10世紀半ばにアッバース朝は勢力を失い、アラブ人のインド洋航海も退潮となりマラッカで中国船と交易を行うようになった。マラッカを支配していたシュリーヴィジャヤ王国は13世紀まで栄え、中国船はベンガル湾へ向かうようになった。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目
上 イスラーム世界の広がり(7〜10世紀)
下 10世紀後半のイスラーム世界
946年カスピ海西南に興ったシーア派のブワイヒ朝がバグダードに入り、カリフは名目的な存在になった。しかしその後1062年にはトルコ人のセルジュークに滅ぼされた。アッバース朝滅亡後イラクでのアラブ勢力が衰え、エジプト人がイスラム勢力の中心になっていった。
エジプトを支配していたトルコ系イフシード朝は969年にチュニスのファーティマ朝に滅ぼされた。ファーティマ朝はフスタート近くにカーヒラ(カイロ)を建設、シリアに軍を進めイラクの一部まで進出した。そしてペルシャ湾を通る通商路に対抗して紅海ルートによるインド洋・南シナ海圏の貿易に参加した。以後紅海ルートが主力となりアイユーブ朝(1169〜1250)、マムルーク朝(1250〜1517)と続けられた。
11世紀以後エジプトのインド洋貿易を支えたのはアフリカの黄金だった。二ジェル川流域のスーダン金、「黄金のティンブクトゥ」、マリ王国のマンサ・ムーサ王(14世紀)。11世紀頃から東アフリカ南部からも金が出始めたらしい。キルワ、ソファラからザンベジ川流域へ入り、ジンバブエ高原で金を集め、象牙と合わせてインド洋貿易に参加した。図説 大航海時代 増田義郎 河出書房新社
タガッサでとれる岩塩をラクダでティンブクトゥに運ぶ。そこで分けたものを人が頭にのせて二ジェル川流域の特定の場所に運んで金との沈黙貿易が行われた。
エジプトを支配していたトルコ系イフシード朝は969年にチュニスのファーティマ朝に滅ぼされた。ファーティマ朝はフスタート近くにカーヒラ(カイロ)を建設、シリアに軍を進めイラクの一部まで進出した。そしてペルシャ湾を通る通商路に対抗して紅海ルートによるインド洋・南シナ海圏の貿易に参加した。以後紅海ルートが主力となりアイユーブ朝(1169〜1250)、マムルーク朝(1250〜1517)と続けられた。
11世紀以後エジプトのインド洋貿易を支えたのはアフリカの黄金だった。二ジェル川流域のスーダン金、「黄金のティンブクトゥ」、マリ王国のマンサ・ムーサ王(14世紀)。11世紀頃から東アフリカ南部からも金が出始めたらしい。キルワ、ソファラからザンベジ川流域へ入り、ジンバブエ高原で金を集め、象牙と合わせてインド洋貿易に参加した。
タガッサでとれる岩塩をラクダでティンブクトゥに運ぶ。そこで分けたものを人が頭にのせて二ジェル川流域の特定の場所に運んで金との沈黙貿易が行われた。