大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

インド洋 7〜10世紀1

中国では6世紀末に隋による統一があり、継いで唐の時代(618〜907)が混乱を経ながら続いた。隋の煬帝によって建設が始められた大運河は華北の政治・軍事の消費地帯と華南の豊かな生産地を結ぶことで重要な役割をはたした。大運河は唐の中頃から一般に開放され物資の流通に貢献するとともに、大運河によってシルクロードと海のルートがつながることになった。黄河と長江の接点にある開封は発展し、後の北宋の首都になった。(現在の地図では接点とは見えないが流路の変更があったのかもしれない)
651年アラブ帝国ウマイヤ朝がササン朝ペルシャを滅ぼして中央アジアへ進出した。そのためゾロアスター教徒のペルシャ人たちがシルクロード伝いに中国に逃れてきた。彼らの中には国際的な視野を持つ経験豊かな商人も多く、中国経済に刺激を与え資本形成にも貢献した。
唐王朝は北方の遊牧民の侵入にも悩まされた。突厥(トルコ)、ウイグル、吐蕃(チベット)などの懐柔のため、時には歳幣として多くの絹を贈ることもあった。それらの絹はソグド人(ペルシャ人)の商人によって西へ運ばれた。しかし東西トルキスタンの不安定な政治状況などで陸上輸送が困難になって、西への輸送は海上ルートによることが増えてきた。
華南では綿、茶、絹などの産業が盛んになり、海路渡来した大食人(タージ アラビア人)が広州、泉州、揚州などに居住地(蕃坊)をつくった。そこでは自治が認められ、ペルシャ人、ユダヤ人も住んでいた。唐末期の黄巣の乱の時には広州は大きな被害を受けた。黄河下流で起こった乱は長江を越えて879年広州にも広がり、十数万人のイスラム教徒が虐殺されたという。
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