大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

インド洋 1〜3世紀

インドのクシャーナ朝(1〜3世紀)はローマとの交易が盛んだったらしく大量の金がインドにもたらされ、ローマの貨幣を参考にした大量の金貨が発行された。またローマの金貨はインドシナ半島からも発見されている。
紀元1世紀頃のインド洋での交易・通商の状況はアレクサンドリアのギリシャ人が書いたとされる「エリュトゥラー海案内記」によってかなり具体的に知ることができる。
ギリシャの地理・歴史学者ストラボンによると、アウグストゥス帝の時代(前27〜14年)、年120隻の船が紅海の北西岸ミュオス・ホルモス、ベルニーケを出帆してアフリカ・インドへ向かい、なかにはガンジス河口に達する船もあったらしい。
ティベリウス帝の時代(14〜37)になってローマ人は季節風を知りその発見者にちなみ「ヒッパルスの風」と呼ばれた。インド洋沿岸の人々はこの風を早くから知っていて、アラビア語でマウシムと呼ばれていた。それがポルトガル語を経て英語圏に入りモンスーンと呼ばれるようになった。
クラウディウス帝の時代(41〜54)になるとインド南部マラバール海岸への航路も開拓された。ネロ帝の時代(54〜68)になるとローマの貴族や市民の生活は豪奢になり、東洋の品々が求められるようになった。その頃に書かれた「エリュトゥラー海案内記」。
ローマの人々はアジアの絹、香料などを求めたが、その対価としてローマが輸出できる物は少なく、支払いの多くは金で行われた。博物学者・軍人、大プリニウス(23頃〜79)は「博物誌」で
「最少に見積もっても、毎年インド、中国、アラビア半島は、一億セールスティウスをわが帝国から奪い去る」「毎年インドはわが国から5000万セールスティウスを吸収して、われわれのもとで100倍に売られる物資を送るのである」。
ローマはインド洋貿易で金銀不足に陥った。一方中国は茶、陶磁器といった輸出品目を増やし、その販路はエジプト、地中海と広まっていった。
それまでの航海・交易 大航海時代 年表・項目
右図 ヒッパルスの風(モンスーン)
グレーの矢印は12〜3月 白い矢印は4〜8月 の季節風
図説 大航海時代 増田義郎 河出書房新社