大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

エンリケ航海王子の探検航海

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1458年
1460年
セウタ攻略に参加したエンリケ航海王子は捕虜などからギニアの豊かな国の話を聞いてギニアへの航海を考えた。
ジョアン・デ・トラストをカナリア諸島へ派遣
カナリア諸島近海の潮流調査のためゴンサロ・ヴェーリョを派遣
ギニアへ向かったジョアン・ゴンサルヴェス・サルコとトリスタン・ヴァス・テイセイラが嵐のためマディラ諸島のボルト・サント島へ漂着。
アルガルヴェ総督に任命されたエンリケはサグレスのサン・ヴィセンテ岬に航海のための研究所を作り多くのユダヤ人を含む学者を集めた。ここで地図製作と造船についての研究が続けられた。
マデイラ島植民のために派遣。クレタ島からマームジィ葡萄を導入、10年後にはすばらしい葡萄畑(カダモスト)になっている。
グラン・カナリア島征服にフェルナンド・デ・カストロを派遣したが失敗。
再びグラン・カナリア島征服にフェルナンド・デ・カストロを派遣したが失敗。
1432年 この頃までにアゾーレス諸島を発見。
ボジャドール岬を越える航海にジル・エアンネスを派遣。
このボジャドール岬より南は人が生きていけない炎熱地帯と考えられていて、ジル・エアンネスは引き返した。
再びジル・エアンネスを派遣し、ボジャドール岬回航に成功。
アフォンソ・バルダーヤとジル・エアンネスを派遣。
ガーネット湾(北緯25度)まで南下し人間と駱駝の足跡を見つけた。
バルターヤを派遣、アングラ・ドス・カヴァリョス湾(北緯24度)に達した。ここで騎兵2名を上陸させ7レグア(約39km)内陸部へ入って、武装した住民に襲われ逃げ帰っている。その後ブランコ岬近くまで南下した。
1437年 タンジール(タンジェ)攻略に失敗
ドゥアルテ王の死亡 などでしばらく探検航海は中断
アンタン・ゴンサルヴェスとヌーノ・トリスタンを派遣。ゴンサルヴェスはリオ・デ・オロで黒人奴隷を積み込んで帰還。トリスタンは船の修理をした後、アルギン湾まで南下した。
この後の数年は奴隷を目当てとした航海が続けられ、最初の5年間でポルトガルに来た奴隷は1000人近くになった。
ゴンサルヴェスは従者ジョアン・フェルナンデスを陸に残したが、フェルナンデスは7ヶ月間住民と共に暮らし、貴重な情報を持ち帰った。
ディニス・ディアスはセネガル河を経てダカール近くのゴレー島に達した。同年ランセローテ・ペッサーニャ指揮のもと大船団が派遣されたが、奴隷狩りに終わってしまった。うち1隻は帆柱岬に達している。
トリスタンはゲバ河に達したが住民との争いで毒矢に倒れた。
アルヴァロ・フェルナンデスは現在のコナクリ近くに達している。
摂政ペドロ王子と貴族たちとの内乱やカナリア諸島をカスティーリャから奪う試み(1450年・51年・53年)の失敗があって探検航海は中断していたが、奴隷狩りは続けられていたらしい。
北アフリカ対イスラム教徒の戦いに参加
1460年11月13日 エンリケ航海王子はサグレスで没した。
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