アメリゴ・ヴェスプッチ5
1505年2月アメリゴはスペインに戻った。コロンブスを訪ねた後、トロで開かれた新大陸で海峡を探すための会議に出席、カリブ海地方の平定と防衛はヤニェス・ピンソンがあたり、東洋への航路の開拓はアメリゴが担当することになった。この会議でアメリゴはカスティーリャ国籍を得ている。1506年ファナ狂女王の夫君フェリペがカスティーリャに入り統治の実権を求めた。フェルナンド王は王権をフェリペ渡してアラゴンに戻った。しかし9月にフェリペ王が急死したため、再びフェルナンドが摂政として復帰した。この間東洋への航路の開拓の計画はポルトガル王に知られ、公然と中止を求められた。
1507年フェルナンド王は4人の航海者を集め航海政策の改革を探った。1508年3月フェルナンド王はアメリゴを航海士総監に任命、航海士の訓練所を開設し、王立地図台帳の制作などを決めて8月アメリゴは航海士総監に就任した。
1512年2月22日アメリゴは没した。残された家族は妻と召使い2人奴隷5人だった。航海士総監を次いだのはファン・ディアス・デ・ソリス、フェルナンド王はソリスに対し給料の2割をアメリゴの家族に渡すよう命じている。長男アントニオの息子ジョヴァンニはアメリゴの許で地図の作製を学んでいて、ソリスは地図部門の担当者としてジョヴァンニを据え置いた。
大航海時代年表 アメリゴ・ヴェスプッチ
1507年フェルナンド王は4人の航海者を集め航海政策の改革を探った。1508年3月フェルナンド王はアメリゴを航海士総監に任命、航海士の訓練所を開設し、王立地図台帳の制作などを決めて8月アメリゴは航海士総監に就任した。
1512年2月22日アメリゴは没した。残された家族は妻と召使い2人奴隷5人だった。航海士総監を次いだのはファン・ディアス・デ・ソリス、フェルナンド王はソリスに対し給料の2割をアメリゴの家族に渡すよう命じている。長男アントニオの息子ジョヴァンニはアメリゴの許で地図の作製を学んでいて、ソリスは地図部門の担当者としてジョヴァンニを据え置いた。
大航海時代年表 アメリゴ・ヴェスプッチ
不思議な航海者
1497年にフェルナンド王がなぜアメリゴを選んだのか理由が分からない。またこの年に航海に派遣したという記録も残されていない。アメリゴの手紙でも一次航海と二次航海での出来事が明確に区別されていないため、一回の航海を二つに分けたとも考えられている。
1499年の二次航海は船団の指揮者アロンソ・デ・オヘダがコロンブス訴訟でアメリゴの参加を証言している。
1501年の三次航海はポルトガルのマヌエル王の熱心な誘いでアメリゴが参加した。ポルトガルとスペインは常に緊張状態にあって、お互いがスパイ活動を行っていた。スペイン王のもとで航海に二度参加しただけのアメリゴをなぜ二度も使者を送って招いたのか、これも分からない。エンリケ航海王子以来沿岸航海ではあったが多くの航海者がポルトガルにはいたはず。アメリゴの手紙を読むと星の位置で船の現在地を知る技術を持っていたらしい。また地球の経度をかなり正確に計っている。その認識のうえで新たな大陸と判断したのかもしれない。この航海の往路、ヴェルデ岬で帰国するカブラルの船団の一部と出会い、ロレンツォ・イル・ポポラーノに手紙を送っている。1502年の手紙でアメリゴはアジアにいると書いているので、この航海で“新世界”であることの何らかの確認がとれたらしい。「新世界」では新しく見つけられた土地と強調している。
四次航海はアジアへ行くことが目的だった。この航海はアメリゴによれば無能な司令官のために完全な失敗に終わった。アメリゴが新大陸に残した24人のうちの一人を主人公としてトマス・モアの「ユートピア」が書かれている。
スペインに戻ったアメリゴは航海士総監に任命されている。航海の調整や航海士の養成、地図の作成管理をする要職である。スペインでの航海は二度しかしていない、ポルトガルの事情を知っていただけでは納得しにくい人事である。彼の死後残された家族に対するフェルナンド王の心遣いからも信任の厚さが推測される。
1499年の二次航海は船団の指揮者アロンソ・デ・オヘダがコロンブス訴訟でアメリゴの参加を証言している。
1501年の三次航海はポルトガルのマヌエル王の熱心な誘いでアメリゴが参加した。ポルトガルとスペインは常に緊張状態にあって、お互いがスパイ活動を行っていた。スペイン王のもとで航海に二度参加しただけのアメリゴをなぜ二度も使者を送って招いたのか、これも分からない。エンリケ航海王子以来沿岸航海ではあったが多くの航海者がポルトガルにはいたはず。アメリゴの手紙を読むと星の位置で船の現在地を知る技術を持っていたらしい。また地球の経度をかなり正確に計っている。その認識のうえで新たな大陸と判断したのかもしれない。この航海の往路、ヴェルデ岬で帰国するカブラルの船団の一部と出会い、ロレンツォ・イル・ポポラーノに手紙を送っている。1502年の手紙でアメリゴはアジアにいると書いているので、この航海で“新世界”であることの何らかの確認がとれたらしい。「新世界」では新しく見つけられた土地と強調している。
四次航海はアジアへ行くことが目的だった。この航海はアメリゴによれば無能な司令官のために完全な失敗に終わった。アメリゴが新大陸に残した24人のうちの一人を主人公としてトマス・モアの「ユートピア」が書かれている。
スペインに戻ったアメリゴは航海士総監に任命されている。航海の調整や航海士の養成、地図の作成管理をする要職である。スペインでの航海は二度しかしていない、ポルトガルの事情を知っていただけでは納得しにくい人事である。彼の死後残された家族に対するフェルナンド王の心遣いからも信任の厚さが推測される。