
ランブール兄弟
ドイツ国境に近いナイメヘン(ネイメーヘン nijmegen)の彫刻家の息子ポール、ヘルマン、ジャンの3人は若い頃パリで修業したらしい。1402年叔父ジャン・マルエル(ブルゴーニュ公の宮廷画家)の推薦があったためか、ポールとジャンはブルゴーニュ公(フィリップ豪胆公)のための「教訓化聖書」挿絵制作に従事している。
ブルゴーニュ公没後(1404年)ベリー公に仕え、1408年頃には「美しき時禱書」を制作、1410年には3人ともベリー公に仕えている。1416年には疫病のためか公の死に先立って3人とも相次いで死去している。「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」の制作は中断された。
3人はパリ、ディジョン、ブールジュで活動し、生国ネーデルラントとの往来もあり、イタリア絵画からの借用からイタリアへ旅をしたこともあったらしい。
1411年1月、彼らは新年の贈り物として「本」を贈った。それらは白木の板に彫刻し、白いベルベットの布を張り、留め金をつけたもので本物の書物と見違えるほどうまく作られていた、と伝えられている。
名画への旅9 講談社・世界美術大全集10 ゴシック2
人物略歴
3人はパリ、ディジョン、ブールジュで活動し、生国ネーデルラントとの往来もあり、イタリア絵画からの借用からイタリアへ旅をしたこともあったらしい。
1411年1月、彼らは新年の贈り物として「本」を贈った。それらは白木の板に彫刻し、白いベルベットの布を張り、留め金をつけたもので本物の書物と見違えるほどうまく作られていた、と伝えられている。
名画への旅9 講談社・世界美術大全集10 ゴシック2
人物略歴
