
ベリー公ジャン
ベリー公ジャン(1340〜1416年)はフランスヴァロワ朝の王ジャン2世(美善王 在位1350〜64年)の第3王子。長兄シャルルはシャルル5世(在位1364〜80年)、次兄ルイはアンジュー侯、弟フィリップはブルゴーニュ公(フランドル伯の娘と結婚)。
20才の時にベリー地方とオーヴェルニュ地方を領土として与えられベリー公を名乗った。父王の身代わりに一時ロンドンで捕虜となったり、兄王の没後、甥のシャルル6世(在位1380〜1422年)の後見人の一人ともなっていてる。
父王は芸術を愛し、音楽家や写本画家が宮廷に出入りしていたらしい。ベリー公は芸術保護者としてこの時代を代表する人物。城館などの造営も行ったが、公の死後作成された蔵書目録には約1000冊の写本が挙げられている。うち300冊が現存するとされ、特に時禱書制作に力を入れたとされる。ただ領民の税負担は重かった。
名画への旅9 講談社・世界美術大全集10 ゴシック2
人物略歴
ベリー公の家系図
ジャン・ド・カンブレ「ベリー公の墓碑像」
ベリー公は墓碑に自分の姿を刻ませた。名画への旅9 講談社
20才の時にベリー地方とオーヴェルニュ地方を領土として与えられベリー公を名乗った。父王の身代わりに一時ロンドンで捕虜となったり、兄王の没後、甥のシャルル6世(在位1380〜1422年)の後見人の一人ともなっていてる。
父王は芸術を愛し、音楽家や写本画家が宮廷に出入りしていたらしい。ベリー公は芸術保護者としてこの時代を代表する人物。城館などの造営も行ったが、公の死後作成された蔵書目録には約1000冊の写本が挙げられている。うち300冊が現存するとされ、特に時禱書制作に力を入れたとされる。ただ領民の税負担は重かった。
名画への旅9 講談社・世界美術大全集10 ゴシック2
人物略歴

ジャン・ド・カンブレ「ベリー公の墓碑像」
ベリー公は墓碑に自分の姿を刻ませた。名画への旅9 講談社
1380年代「ベリー公の詩篇集」
写本装飾 ジャックマール・ド・エダン(活動期1384〜1409)
巻頭に有名な彫刻家だったアンドレ・ボーヌヴーを起用して24枚の旧約預言者と新約使徒の対比像を挿入させている。
1372〜1390年頃「小時禱書」
ジャン・ル・ノワールの死で中断され、ジャックマール・ド・エダンが引き継ぎ複数の画家が加わって完成。ランブール兄弟による「ベリー公の旅立ち」が後で挿入された。
1380〜15世紀初め「いとも美しき聖母の時禱書」
ナルボンヌの祭壇飾りの画家によって着手され、15世紀初めまで別の工房で制作が続けられた後、ベリー公から家臣に下された。その後分割され、完成度の高かった部分は現在パリ国立図書館所蔵となっている。別の部分はバイエルン公家に渡り、15世紀前半にファン・エイクを含むネーデルラントの画家たちによって補充されていった。「トリノ・ミラノ時禱書」(トリノ断片は焼失、ミラノ断片はトリノ市立美術館)
「ブリュッセルの時禱書」
ジャックマールの工房で制作され、挿絵入りイニシャルの制作にはイタリア人画家が加わっている。後に弟ブルゴーニュ公に贈られた。
1409年以前「大時禱書」
ベリー公の図書目録に「巨大にして、いとも美しく豪華なる時禱書」と記され、公の死後の評価で最も高価だった写本。大型挿絵付きと特記されているが失われている。ルーヴルにある羊皮紙に描かれた「十字架への道」がその1枚とする説もある。「ブシコーの画家」「ベッドフォードの画家」も制作に参加していたらしい。
1410年頃「ベリー公の美しき時禱書」
1404年に弟ブルゴーニュ公が死去、ブルゴーニュ公のもとで「聖書」制作をしていたランブール兄弟を召し抱えて「美しき時禱書」を制作させた。
1416年以前「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」
ジャックマールの死後、1410年には3人のランブール兄弟がベリー公に仕えている。ランブール兄弟によって始められた「いとも豪華なる時禱書」制作は、1416年、疫病によるためか公の死に先立って兄弟が相次いで死去、中断された。
1480年代サヴォワ公のもとでジャン・コロンブ(1430/35〜1493)によって完成された。
写本装飾 ジャックマール・ド・エダン(活動期1384〜1409)
巻頭に有名な彫刻家だったアンドレ・ボーヌヴーを起用して24枚の旧約預言者と新約使徒の対比像を挿入させている。
1372〜1390年頃「小時禱書」
ジャン・ル・ノワールの死で中断され、ジャックマール・ド・エダンが引き継ぎ複数の画家が加わって完成。ランブール兄弟による「ベリー公の旅立ち」が後で挿入された。
1380〜15世紀初め「いとも美しき聖母の時禱書」
ナルボンヌの祭壇飾りの画家によって着手され、15世紀初めまで別の工房で制作が続けられた後、ベリー公から家臣に下された。その後分割され、完成度の高かった部分は現在パリ国立図書館所蔵となっている。別の部分はバイエルン公家に渡り、15世紀前半にファン・エイクを含むネーデルラントの画家たちによって補充されていった。「トリノ・ミラノ時禱書」(トリノ断片は焼失、ミラノ断片はトリノ市立美術館)
「ブリュッセルの時禱書」
ジャックマールの工房で制作され、挿絵入りイニシャルの制作にはイタリア人画家が加わっている。後に弟ブルゴーニュ公に贈られた。
1409年以前「大時禱書」
ベリー公の図書目録に「巨大にして、いとも美しく豪華なる時禱書」と記され、公の死後の評価で最も高価だった写本。大型挿絵付きと特記されているが失われている。ルーヴルにある羊皮紙に描かれた「十字架への道」がその1枚とする説もある。「ブシコーの画家」「ベッドフォードの画家」も制作に参加していたらしい。
1410年頃「ベリー公の美しき時禱書」
1404年に弟ブルゴーニュ公が死去、ブルゴーニュ公のもとで「聖書」制作をしていたランブール兄弟を召し抱えて「美しき時禱書」を制作させた。
1416年以前「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」
ジャックマールの死後、1410年には3人のランブール兄弟がベリー公に仕えている。ランブール兄弟によって始められた「いとも豪華なる時禱書」制作は、1416年、疫病によるためか公の死に先立って兄弟が相次いで死去、中断された。
1480年代サヴォワ公のもとでジャン・コロンブ(1430/35〜1493)によって完成された。