
カヴァリーニ
カヴァリーニ ピエトロ Pietro Cavallini
1273〜1308記録あり
ローマ派の画家たち
古典文化の中心ローマで育った画家たちは調和と実在感に富む造形を志向していた。
カヴァリーニはビザンティン的作画法の理解・修得に加え、ギリシアのダフ二修道院モザイクから静観的で古典主義的表現やローマにある聖堂の初期キリスト教モザイクの田園詩的世界観から影響を受けたらしい。彼の作風はネオ・ヘレニスティック洋式とも呼ばれる。
カヴァリーニについての記録は少ない。
1273年10月の公正証書に「チェロー二家のカヴァリーニと通称されるピエトロ」と署名している。本来の姓はチェローニとされるが否定説もある。
1308年にナポリ宮廷から発せられた契約書でカヴァリーニに年金を下賜する内容。
カヴァリーニの息子で教皇庁書記官だったジョヴァンニの記述では100歳までの長命とされている。
生年は1240〜50年頃、没年は1330〜40年頃とされる。
ギベルティの「コンメンターリ」(1450年頃)にカヴァリーニについての記載がある。「きわめて学識に長け」「高雅」。
サン・ピエトロ大聖堂の壁画制作他多くの仕事を成し遂げた。
初期キリスト教時代に描かれたサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂の新旧約伝諸場面の修復・描き直し(1275〜87年の一時期)も彼の作風に影響を与えたらしい。
現存する作品は1291年作とされるローマのサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂祭室のモザイク連作。「マリアの誕生」、「受胎告知」、「キリスト降誕」、「マギの礼拝」、「キリストの
1273〜1308記録あり
ローマ派の画家たち
古典文化の中心ローマで育った画家たちは調和と実在感に富む造形を志向していた。
カヴァリーニはビザンティン的作画法の理解・修得に加え、ギリシアのダフ二修道院モザイクから静観的で古典主義的表現やローマにある聖堂の初期キリスト教モザイクの田園詩的世界観から影響を受けたらしい。彼の作風はネオ・ヘレニスティック洋式とも呼ばれる。
カヴァリーニについての記録は少ない。
1273年10月の公正証書に「チェロー二家のカヴァリーニと通称されるピエトロ」と署名している。本来の姓はチェローニとされるが否定説もある。
1308年にナポリ宮廷から発せられた契約書でカヴァリーニに年金を下賜する内容。
カヴァリーニの息子で教皇庁書記官だったジョヴァンニの記述では100歳までの長命とされている。
生年は1240〜50年頃、没年は1330〜40年頃とされる。
ギベルティの「コンメンターリ」(1450年頃)にカヴァリーニについての記載がある。「きわめて学識に長け」「高雅」。
サン・ピエトロ大聖堂の壁画制作他多くの仕事を成し遂げた。
初期キリスト教時代に描かれたサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂の新旧約伝諸場面の修復・描き直し(1275〜87年の一時期)も彼の作風に影響を与えたらしい。
現存する作品は1291年作とされるローマのサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂祭室のモザイク連作。「マリアの誕生」、「受胎告知」、「キリスト降誕」、「マギの礼拝」、「キリストの
神殿奉献」、「聖母の死」、と注文主が聖母子に合掌する場面。
13世紀はマリア崇拝が盛んになって聖母に捧げられた聖堂の創建や既存施設の整備・再装飾が行われた。それによってカヴァリーニは5〜6世紀以来の東方マリア伝の成果を吸収したとされる。ローマと初期キリスト教の古典文化を受け継ぎ、イタリア美術の新しい目覚めともいえる自らの作風を作り上げたらしい。その作品は人物と背景がくっきり対応し、モザイクの表現可能性を拡大、斬新な技法を見せている。
ローマの川向こうにあるサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂の「最後の審判」。1289年頃に着手し93年には完成したらしい。1900年に壁の下から発見され、美術史を書き換えるほどの反響があったという。
教皇ヨハネス22世(在位1316〜34)の時代にサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂正面のモザイク装飾を行ったと伝えられるが、17世紀の素描・18世紀のエッチングで知られるだけ。またカンピドリオの丘のサンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂にある墓碑に付された「全能のキリスト」、「聖母子と二聖人と奉献者」のフレスコ画がある。
サン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ聖堂祭室のフレスコ画「救世主キリストと聖母と聖人たち」。1300〜08年の作とされる。おそらく以前に描かれていた全能のキリストの権威を強調する作品と合わせて描いたものらしい。明暗による堅固な造形。 厳粛であるとともにモニュメンタルな風格。
現存する最後の作品はナポリのサンタ・マリア・ドンナ・レジーナ聖堂の装飾。1320年代前半に制作されたらしい。多くの部分は工房の助手たちが担当している。カヴァリーニ作とされる部分はナポリ市立美術館に所蔵されている。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴
13世紀はマリア崇拝が盛んになって聖母に捧げられた聖堂の創建や既存施設の整備・再装飾が行われた。それによってカヴァリーニは5〜6世紀以来の東方マリア伝の成果を吸収したとされる。ローマと初期キリスト教の古典文化を受け継ぎ、イタリア美術の新しい目覚めともいえる自らの作風を作り上げたらしい。その作品は人物と背景がくっきり対応し、モザイクの表現可能性を拡大、斬新な技法を見せている。
ローマの川向こうにあるサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂の「最後の審判」。1289年頃に着手し93年には完成したらしい。1900年に壁の下から発見され、美術史を書き換えるほどの反響があったという。
教皇ヨハネス22世(在位1316〜34)の時代にサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂正面のモザイク装飾を行ったと伝えられるが、17世紀の素描・18世紀のエッチングで知られるだけ。またカンピドリオの丘のサンタ・マリア・イン・アラチェリ聖堂にある墓碑に付された「全能のキリスト」、「聖母子と二聖人と奉献者」のフレスコ画がある。
サン・ジョルジョ・イン・ヴェラーブロ聖堂祭室のフレスコ画「救世主キリストと聖母と聖人たち」。1300〜08年の作とされる。おそらく以前に描かれていた全能のキリストの権威を強調する作品と合わせて描いたものらしい。明暗による堅固な造形。 厳粛であるとともにモニュメンタルな風格。
現存する最後の作品はナポリのサンタ・マリア・ドンナ・レジーナ聖堂の装飾。1320年代前半に制作されたらしい。多くの部分は工房の助手たちが担当している。カヴァリーニ作とされる部分はナポリ市立美術館に所蔵されている。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴