
シモーネ・マルティーニ
シモーネ・マルティーニ Simone Martini
1284頃シエナ〜1344アヴィニョン
シエナ生まれは確かだが、生年ははっきりしない。ヴァザーリが伝える60才で死去によると、生年は1284/85年となり、おおむね受け入れられている。
若い頃については何も知られていない。1315〜17年に市庁舎のマエスタの制作と前後してアッシジのサン・フランチェスコ聖堂下堂サン・マルティーノ礼拝堂の装飾を行ったらしい。
シモーネの活動範囲、制作するジャンルの幅などから、ジョット工房で修業をしたと思われる。独立した画家となってもジョッテスキでありながらシエナ魂を持ち続けた、と考えると彼の画家としての活動が理解しやすい。
マエスタの後については、史料も多く残され、現存する作品も多い。それまでのシエナ派の画家が地方的な画家だったのに比べ、アッシジ、ナポリ、アヴィニョンと広範囲で活動し、壁画、板絵、その他パトロンの要望に応える作品の革新性が見られる。それに伴い画家としての社会的地位も向上していった。ナポリでは「騎士」として厚遇され、「シエナ市の画家」、教皇庁の「宮廷画家」となってジョットとともに「新時代の画家」となった。
市民としてのシモーネについての史料は少ない。優秀で堅実な画家であると同時に繊細で家庭的な人物だったらしい。
画家の娘を妻として、有能な義弟を協力者にもち、子供がいなかったので、多少の財を妻と甥、姪に残す。平穏な生活を送ったらしい。
1284頃シエナ〜1344アヴィニョン
シエナ生まれは確かだが、生年ははっきりしない。ヴァザーリが伝える60才で死去によると、生年は1284/85年となり、おおむね受け入れられている。
若い頃については何も知られていない。1315〜17年に市庁舎のマエスタの制作と前後してアッシジのサン・フランチェスコ聖堂下堂サン・マルティーノ礼拝堂の装飾を行ったらしい。
シモーネの活動範囲、制作するジャンルの幅などから、ジョット工房で修業をしたと思われる。独立した画家となってもジョッテスキでありながらシエナ魂を持ち続けた、と考えると彼の画家としての活動が理解しやすい。
マエスタの後については、史料も多く残され、現存する作品も多い。それまでのシエナ派の画家が地方的な画家だったのに比べ、アッシジ、ナポリ、アヴィニョンと広範囲で活動し、壁画、板絵、その他パトロンの要望に応える作品の革新性が見られる。それに伴い画家としての社会的地位も向上していった。ナポリでは「騎士」として厚遇され、「シエナ市の画家」、教皇庁の「宮廷画家」となってジョットとともに「新時代の画家」となった。
市民としてのシモーネについての史料は少ない。優秀で堅実な画家であると同時に繊細で家庭的な人物だったらしい。
画家の娘を妻として、有能な義弟を協力者にもち、子供がいなかったので、多少の財を妻と甥、姪に残す。平穏な生活を送ったらしい。
シエナ市庁舎のマエスタでは非凡な造形感覚を示している。聖母子を中心に現実感を伴う諸聖人がバランス良く配置されている。ドゥッチョのマエスタとは異なり、「鐘の評議会」と呼ばれる市議会の議員たちにメッセージを発する「評議会の聖母」としての性格をはっきりと表している。
相前後してというのが難しいのだが、アッシジのサン・マルティーノ礼拝堂にもマエスタと共通する優美さと現実感、装飾性と空間感覚が認められる。
パトロンの要望に応えたナポリの「トゥールーズの聖ルイ」。ビザンティン様式、アッシジの壁画をふまえた独創的な作品になっている。
「物語画家」としても優れた作品を残している。見る者を引き込む「福者アゴスティーノ・ノヴェッロ祭壇画」や優雅で憂いを含む「グイドリッチョ・ダ・フォリアーノ騎馬像」。現在ウフィツィ美術館にある「受胎告知」は日本でもシエナ派の代表作とされている。最晩年の「聖家族」は少年キリストが博士たちとの議論の後、両親と再会した場面で非常に稀な主題。
シモーネは最後の時期をアヴィニョンで過ごした。大聖堂入口の壁画のシノピア(下絵)が残されている。またペトラルカの持っていたヴェルギリウスの写本のために描いた口絵が伝えられている。最初の文人と画家との交流を伝えている。
ジョットの後継者はマーゾ・ディ・バンコで両者ともマザッチョの登場まで忘れられていた、とされるがシモーネにも後継者として充分な資格があると思う。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴
相前後してというのが難しいのだが、アッシジのサン・マルティーノ礼拝堂にもマエスタと共通する優美さと現実感、装飾性と空間感覚が認められる。
パトロンの要望に応えたナポリの「トゥールーズの聖ルイ」。ビザンティン様式、アッシジの壁画をふまえた独創的な作品になっている。
「物語画家」としても優れた作品を残している。見る者を引き込む「福者アゴスティーノ・ノヴェッロ祭壇画」や優雅で憂いを含む「グイドリッチョ・ダ・フォリアーノ騎馬像」。現在ウフィツィ美術館にある「受胎告知」は日本でもシエナ派の代表作とされている。最晩年の「聖家族」は少年キリストが博士たちとの議論の後、両親と再会した場面で非常に稀な主題。
シモーネは最後の時期をアヴィニョンで過ごした。大聖堂入口の壁画のシノピア(下絵)が残されている。またペトラルカの持っていたヴェルギリウスの写本のために描いた口絵が伝えられている。最初の文人と画家との交流を伝えている。
ジョットの後継者はマーゾ・ディ・バンコで両者ともマザッチョの登場まで忘れられていた、とされるがシモーネにも後継者として充分な資格があると思う。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴