
ピュッセル
ジャン・ピュッセル Jean Pucelle
活動期 1320頃〜1334
フランス写本芸術における国際ゴシック様式の創始者で、その影響は14世紀末まで及んだとされる。
パリの絵画伝統を継承しながら、室内空間、人物の自然主義的表現、独自の図像、斬新なレイアウト、新たな装飾的背景の考案、グリザイユ(白黒の濃淡で描く技法)や滑稽モティーフの導入などの革新をもたらした。
最も古い記録は、1319年から24年の間に支払いを受けた巡礼者の聖ヤコブ兄弟団のための印璽デザインに関するもの。この兄弟団は王室のメンバーの後援を受けていた有力な組織だった。このころすでに画家としての地位を築いていたらしい。
1327年に書写された聖書本の奥付に共同で装飾に携わったと記されている。「ベルヴィル家の聖務日課書(1323〜26年頃)」のメモによると、ピュッセルが装飾を依頼され、弟子か協力者に仕事を分担させていたらしい。
活動期 1320頃〜1334
フランス写本芸術における国際ゴシック様式の創始者で、その影響は14世紀末まで及んだとされる。
パリの絵画伝統を継承しながら、室内空間、人物の自然主義的表現、独自の図像、斬新なレイアウト、新たな装飾的背景の考案、グリザイユ(白黒の濃淡で描く技法)や滑稽モティーフの導入などの革新をもたらした。
最も古い記録は、1319年から24年の間に支払いを受けた巡礼者の聖ヤコブ兄弟団のための印璽デザインに関するもの。この兄弟団は王室のメンバーの後援を受けていた有力な組織だった。このころすでに画家としての地位を築いていたらしい。
1327年に書写された聖書本の奥付に共同で装飾に携わったと記されている。「ベルヴィル家の聖務日課書(1323〜26年頃)」のメモによると、ピュッセルが装飾を依頼され、弟子か協力者に仕事を分担させていたらしい。
代表作とされるのは「ジャンヌ・デヴルーの時禱書」。フランス王シャルル4世の妻ジャンヌ・デヴルーの遺言補足書(1371年)に「国王が妻のためにつくらせ、ピュッセルが装飾した、とても小さな祈祷書」と記されている。後にベリー公ジャンなどの手を経ているが、現在ニューヨークにある「ジャンヌ・デヴルーの時禱書」と同一だとされている。
ドゥッチョの「マエスタ」からの影響を受けているとされ、資料はないがイタリアを訪れたことがあると考えられている。13世紀末以来イタリアとパリの間で頻繁な芸術的交流があったともされる。
晩年の作とされるのが「聖母の奇跡集」。「書斎のゴーティエ」には斬新な室内空間表現の試みが見られるという。
ドゥッチョのほかジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画からの影響もいわれるが、ゴシック聖堂などの彫刻からの影響もあるとされる。イギリス・北フランスで広まっていた滑稽モティーフを絵画との積極的な意味を持たせて導入してもいる。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴
ドゥッチョの「マエスタ」からの影響を受けているとされ、資料はないがイタリアを訪れたことがあると考えられている。13世紀末以来イタリアとパリの間で頻繁な芸術的交流があったともされる。
晩年の作とされるのが「聖母の奇跡集」。「書斎のゴーティエ」には斬新な室内空間表現の試みが見られるという。
ドゥッチョのほかジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画からの影響もいわれるが、ゴシック聖堂などの彫刻からの影響もあるとされる。イギリス・北フランスで広まっていた滑稽モティーフを絵画との積極的な意味を持たせて導入してもいる。
世界美術大全集10 ゴシック2 人物略歴