
シュテファン・ロッホナー
シュテファン・ロッホナー Stephan Lochner
1400頃〜1451
南ドイツ、ボーデン湖畔のメールスブルクに生まれ、ネーデルラントへの遍歴修業で、ファン・エイク兄弟やロベール・カンパンの作品を知ったと考えられている。帰途、伝統文化が残るケルンを活動の場として定住したらしい。
1442年ケルンの記録に現れ、1451年に死去(ペスト?)するまでに2度、市の画家組合を代表する参事会員を務めている。1442年の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世、ケルン訪問の際の催し物の飾り付けや「マギの礼拝」の報酬で家屋を取得している。
この頃のケルンの画家と同様に、彼も作品に署名を残していない。デューラーが1520年のネーデルラント旅日記で「ケルンのシュテファン親方が描いた絵」と伝えていなかったら、名前は残らなかったとされている。
1400頃〜1451
南ドイツ、ボーデン湖畔のメールスブルクに生まれ、ネーデルラントへの遍歴修業で、ファン・エイク兄弟やロベール・カンパンの作品を知ったと考えられている。帰途、伝統文化が残るケルンを活動の場として定住したらしい。
1442年ケルンの記録に現れ、1451年に死去(ペスト?)するまでに2度、市の画家組合を代表する参事会員を務めている。1442年の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世、ケルン訪問の際の催し物の飾り付けや「マギの礼拝」の報酬で家屋を取得している。
この頃のケルンの画家と同様に、彼も作品に署名を残していない。デューラーが1520年のネーデルラント旅日記で「ケルンのシュテファン親方が描いた絵」と伝えていなかったら、名前は残らなかったとされている。
デューラーが見た「マギの礼拝」は現在ケルン大聖堂に置かれている。聖女ヴェロニカの画家の柔軟様式を受け継ぎながら、鮮やかな色彩と確実な写実によってケルン絵画を一歩前へ進めている。
ロッホナーの代表的聖母子像、「薔薇の園庭の聖母子(1448年)」の主題は「薔薇の木の聖母子」「謙譲の聖母子」「パラダイスの園の聖母子」を合わせている。「パラダイスの小園(1410〜20年)」を受け継ぎ、続くショーンガウアーの「薔薇垣の聖母子(1473年)」を予告しているとされる。
出納簿日記とされるネーデルラント旅日記では「3ヴァイスペニッヒそしてさらに2ヴァイスペニッヒをケルンのシュテファン(・ロッホナー)親方作の祭壇画の開扉に払う」と記されている。デューラーは市庁舎礼拝堂で見ている。
デューラー ネーデルラント旅日記 岩波文庫
世界美術大全集14 北方ルネサンス 人物略歴
ロッホナーの代表的聖母子像、「薔薇の園庭の聖母子(1448年)」の主題は「薔薇の木の聖母子」「謙譲の聖母子」「パラダイスの園の聖母子」を合わせている。「パラダイスの小園(1410〜20年)」を受け継ぎ、続くショーンガウアーの「薔薇垣の聖母子(1473年)」を予告しているとされる。
出納簿日記とされるネーデルラント旅日記では「3ヴァイスペニッヒそしてさらに2ヴァイスペニッヒをケルンのシュテファン(・ロッホナー)親方作の祭壇画の開扉に払う」と記されている。デューラーは市庁舎礼拝堂で見ている。
デューラー ネーデルラント旅日記 岩波文庫
世界美術大全集14 北方ルネサンス 人物略歴