大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

ブロンズィーノ

ブロンズィーノ(1503〜1572)
Bronzino
本名アーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリ
ポントルモの弟子だったが、1534年にミケランジェロがローマに移ってから、トスカーナでのマニエラの最大の担い手となった。博学、洗練、冷ややかな優美さは、当時の理想的宮廷洗練文化として全ヨーロッパに広まった。ヴァザーリも「(ミケランジェロの)カッシナを学んだ画家」の一人にあげている。
1529〜30年のフィレンツェ包囲の際、ペーザロのデッラ・ローヴェレ家の宮廷に滞在して宮廷生活を体験した。1534年以降、コジモ1世の宮廷文化の指導的立場になり、祝祭・装飾の意匠家となった。また公爵家族の公的肖像画や貴族・文人の理想的肖像画の定型を作り上げた。
コジモ1世は1539年にカール5世の家臣、ナポリ副王の娘エレオノーラと結婚し、11人の子供をもうけている。ブロンズィーノはこの夫妻と子供たちの肖像を、年代を追って描いている。「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニの肖像(1544〜45年頃)」で豪華な衣裳と服飾に包まれたエレオノーラは、冷たい精密さでスペイン的権威とその宮廷的性格が表されている。柘榴の文様は多産の象徴で、家系を継ぐ長男と教皇になるはずだった次男ジョヴァンニを産んだことを称賛している。 コジモ1世の家族以外に、優れた洗練された知識人の肖像画「バルトロメオ・パンチアティキ夫妻の肖像」も描いている。
パラッツォ・ヴェッキオのエレオノーラ個人礼拝堂の装飾も重要な仕事だった。対抗宗教改革期の予型論の構想をもっているが、コジモをモーセと同一視し、祭壇画「十字架降下」のキリストの背後にエレオノーラが描かれている。エレオノーラはスペイン起源のイエズス会を擁護していた。
フランス王への外交的贈り物となった「愛のアレゴリー」は宮廷的環境のなかで鑑賞される、エロティシズムに満ちた寓意画。
世界美術大全集15 マニエリスム