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十字架降下

十字架が描かれていないが「十字架降下」と呼ばれている作品(初期の素描には十字架が描かれている)。1525年にこの礼拝堂を購入したカッポーニは「キリストの死への哀悼(ピエタ)」の下に埋葬されることを望んでいた(実際に埋葬されている)ことから、「十字架降下」ではなく「哀悼」だともされている。
一般に「哀悼」はキリストの遺骸を膝に抱いて悲しむ聖母が描かれているが、この作品は登場人物が多い、初めにに十字架降下を構想していたが、「ピエタ・セパラータ(聖母が遺骸と引き離される哀悼)」に変わったらしい。
キリストの体はミケランジェロの「ピエタ(1498〜1500年)」からとられている。悲しみで倒れそうになっている聖母を後ろ向きのマグダラのマリアたちが支えようとしているが、悲しみのために支えきれていない。人物が多く「哀悼」としては変則的だが、16世紀前半にいくつか見られる。既成の教会と信仰を改革しようとした「神愛オラトリオ会」の影響があったともされる。
1524年にこの会を母体にしたテアティノ会が創設された。ルターの宗教改革に反対し、聖なる秘跡を擁護し、聖餐がキリストの肉と血であることを強調するために、キリストの遺骸を崇敬する図像を生み出したとされる。
カッポーニは1521年までローマにいて「神愛オラトリオ会」の会員と親しかった。この改革派修道会はサヴォナローラとも近かった。ポントルモはボッティチェリの「キリストの死への哀悼」から人物群の構想を借り、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画からもカンジャンテ(玉虫色)の鮮やかで抽象的な彩色を取り入れている。右上端のターバンを巻いたニコデモは作者の自画像ともされる。
受胎告知 1520年代
ポントルモ
十字架降下
1525〜28年 板 油彩 313×192cm
フィレンツェ サンタ・フェリチタ聖堂