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ルネサンス以前のイタリア彫刻 6

アンドレア・ピサーノ Andrea Pisano
(1290年頃〜1349)
ピサ近郊ポンテデーラの出身。金細工師の訓練を受けた後各地で広範な経験を積んだらしい。シエナやオルヴィエート(マイターニのもと)で修業した可能性もあるとされるが不明。
1330年から36年にかけてフィレンツェ洗礼堂ブロンズ門扉を制作することで記録に登場し、1330〜40年代のトスカーナ美術(彫刻)を主導する存在となった。
ブロンズ門扉は下層2段が枢要徳像と左上に始まり右下に終わる「洗礼者聖ヨハネ伝」合わせて28枚のパネルからなっている。ヴァザーリにジョットによるデザイン企画と思わせるほど寡黙で荘重、自然主義様式に近く、その肉体表現は現実的で古典的といえるものになっている。
1334年から37年にかけて大聖堂造営主任だったジョットの死後、その職をアンドレアが引き継いだらしい。下3層の下層の六角形装飾浮彫と上層の壁龕を飾る8体の預言者・巫女像のうち何体かは彼によって制作された(2体の巫女像は質が高い)。上層のダヴィデ像は工房作とされている。これらの作品はアンドレアがフィレンツェに自然主義様式をもたらしたことを示している。
1343年アテネ公追放という混乱のなかアンドレアはピサに向かい、1347年まで息子ニーノを含む工房を開いていた。この頃の作品はアンドレアとニーノの区別がつけにくいという。1347年アンドレアはオルヴィエート大聖堂の造営主任となり、1349年に死去、その後はニーノが継いだ。